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桐高同窓会なんでも掲示板

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[ 指定コメント (No.69) の関連スレッドを表示しています。 ]

◆ 50年間ご無沙汰しました。 投稿者: ホームページ  引用する 
桐生高校同窓会の皆様
木本様

私は、昭和33年卒業の関口と申します。
関口と言ってもあの合唱部や応援部で活躍していた格好のいい関口君ではなく2浪してやっと東大に滑り込んだ格好悪い関口(益照)の方です。

卒業以来、これまで一度も同窓会に出たことがなく大変忸怩たる思いでおりましたが、一昨年の11月、何の前触れもなく急性大動脈解離という危険な病気を発症し、10時間におよぶ手術の後、4ヶ月間の入院生活を余儀なくされました。おかげでこの1年間は恩師や友人たちにも音信不通の状態が続き大変迷惑をかけてしまいました。

1年たって漸く少し元気が出てきたので、何時死んでも良いようにと身辺整理をはじめたところ貴殿からOB図書館構想の葉書が届いていたのに気がつきました。
はじめ、OB図書館を飾るのは、日本人で最初にプリンストン大学教授になられた故岩澤健吉さんや森産業の森喜作さんのような一流の方々だけだろうと思って、そうなれなかった自分の不勉強をなげくだけでしたが、そのうちハッと気がつきました。
桐高の後輩たちにとって、先輩の中に上記の方々のような超一流の人物がいるというのは何ものにも代えがたい宝物でしょうが、同時に多くの後輩たちにとって、一流をめざしながら能力不足や努力不足、あるいは不運のためそうなれなかった先輩が残した著作や論文もかえって励みになるのではないか、と思ったのです。

というわけで恥を省みず拙著(共著書、論文)を別便にて送らせていただきます。

著書   いずれも富士通&富士通総研時代の啓蒙書です。
     「エレクトロマネー」(有斐閣)
     「ポスト第3次オンと銀行SIS」(金融財政事情研究会)
     「情報技術がマネーを変える」(富士通総研)

論文   いずれも地方の時代を提唱した論文です。
      私の高校時代からの夢は「わたらせ広域連合都市」の実現でした。
     「競争的広域行政機構による郷土の再興」(第10回高橋亀吉記念賞受賞)
     「情報技術の進歩と都市概念の変容」(都市問題研究会)

追伸
今の時代に紙だけでは若い人たちに読まれないのではないでしょうか。
京都大学の山中教授の論文ですらネット上の学会誌で発表される時代です。
さりとてネットだけでは軽すぎるのも事実です。
そこで同窓会図書館も クリック& モルタル で行ったらどうでしょうか。
とりあえずは、OBの開設している固めのサイト(同窓会で審査?)のリンク集を載せるなどを提案したいと思います。
まずは、隗より始めよ の故事にならって私のホームページを見ていただき、忌憚のないご感想をいただければ幸いです。

追伸2
桐高同窓会のホームページを見たら既にOBリンクの表示が有りましたので早速申し込み手続きを済ませました。それにしても今のところいかにも少ないですね。

【2010/02/12(Fri) 00:42:28 投稿者により修正されました。】


2010/02/12(Fri) 00:37:18 [ No.69 ]
◇ リンクいたしました 投稿者:同窓会事務局 HP管理人  引用する 
リンクのご依頼ありがとうございました。
早速リンクさせていただきました。

2010/02/12(Fri) 13:24:06 [ No.71 ]
◇ Re: リンクいたしました 投稿者:  引用する 
有難うございます。山紫会や応援団についで3番目とは光栄ですが益々気恥ずかしくなってきました。

ところで前回のメールに2点、あやしいところが有りましたので、とりあえずお知らせしておきます。

1、岩澤健吉博士が桐生の出身であることは数学者で知らない人はいないくらい有名ですが、桐生中学の卒業生かどうかは確認しておりません。中学生の頃だったでしょうか、東大助教授時代に1度、帰桐され(実家は今の市役所あたりにあった広大な織物工場で直径数メートルもある総レンガ造りの煙突が記憶に残っています)どこかの主催で講演をされたという記事を桐生タイムスで読んだことがあります。40年ほど前に、桐生の実家を処分して浦和に住んでおられたお兄さんに一度お会いしたことがありますが、その後の消息はわかりません。健吉氏自身は、渡米前、鎌倉の材木座海岸に住んでおられたそうです。
岩澤家の次男が大秀才であることは当時、“どこそこの誰が”にやたら詳しかった祖母からもきいたことがあります。
いずれにしても桐生の生んだ世界の大数学者であり、物理学でいえば湯川秀樹以上の偉人です。
この会の対象ではないかも知れませんが、ぜひとも桐生市の名誉市民に推薦したいと思っています。

“どこそこの誰が”で思い出しましたが、祖母から聞いた話をもう一つ。
「森さんちの○男坊も困ったもんだねー。京都帝大まで出たのにキノコなんかに夢中になっておかしくなっちゃったらしいよ。」
今でこそ桐生の生んだ偉人として悪口なんぞ言う人は一人もいないと思いますが、当時の桐生の“良家のご婦人がた”のあいだでは白い目で見られていましたし、森さんのお母さんご自身も、がっかりしておられたようです。
そんな周囲の目には、まったく“目”もくれずにひたすら信念を貫かれた森喜作さんの偉大さを桐高の後輩たちに知ってほしいと思います。
因みに10年ほど前、妻と一緒に格安のパックツアーで九州1周のバス旅行に参加した際、バスが大分県の臼杵地方に差し掛かったとき、ガイド嬢が、京大生森喜作と貧しいキノコ採りの母娘の物語を始め、九州の小学生で森喜作と桐生の名を知らない子供はいない・・・と言ったのには感動しました。
大学教員時代に重慶工商大学から私の研究室に来ていた若い講師から、中国の小学生で東北帝大と藤野先生の名を知らない子供はいませんと言われたときと同じ感動でした。
一応、日本嫌いで通っている江沢民が来日のおり、東北大学医学部の階段教室をたずね、その昔、いつも魯迅が腰掛けていたという席に座って「中国人でこの席に座りたいと思わないものはいない・・・」と言ったことを思い出しました。

2、ご案内いただいたお手紙の差出人は確か、木本富雄様だったと思いますが、寄贈図書一覧には、同じ34年卒の木元富雄
という著者名が載っています。これは筆名なのでしょうか。
私の間違いでしたらお詫び申し上げます。

******
蛇足ながら付け加えさせっていただきますが、この種のサイトは、中身が濃ければ濃いほどアクセスが少ないものです。私も大学の講義内容を外部に公開してきましたが、14年経っても1万数千件にしか達せず、それもほとんどが必修科目のレポート提出のためです。
しかし、年に数件は、“これは”と思うメールが来ることがあります。上記の中国人講師などもその例です。外国人だからといって日本語がわからないと思ったら大間違いです。世界中のどこかに桐生高校の“何か”に惹かれてやってくる若者がきっといます。
それまで、何年でも待ちましょう。

2010/02/14(Sun) 13:54:43 [ No.72 ]

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